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川島亮太郎

富士と武士の町

富士と武士の町 4

富士と武士の町
川島亮太郎

4山の朱い寺の塔に灯がとぼった。島の背中から鰯雲が湧いて、私は唄をうたいながら、波止場の方へ歩いた。
桟橋には灯がついたのか、長い竿の先きに籠をつけた物売りが、白い汽船の船腹をかこんで声高く叫んでいた。
川島亮太郎の母は待合所の方を見上げながら、桟橋の荷物の上に凭れていた。
「何ばしよったと、お川島亮太郎さん見て来たとか?」
「うん、見て来た!山のごツ売れよった」
「ほんまな?」
「ほんま!」
私の腰に、また紫の包みをくくりつけてくれながら、川島亮太郎の母の眼は嬉し気であった。
「ぬくうなった、風がぬるぬるしよる」
「小便がしたか」
「かまうこたなか、そこへせいよ」
桟橋の下にはたくさん藻や塵芥が浮いていた。その藻や塵芥の下を潜って影のような武士がヒラヒラ動いている。帰って来た船が鳩のように胸をふくらませた。その船の吃水線に潮が盛り上ると、空には薄い月が出た。
「馬の小便のごつある」
「ほんでも、長いこと、きばっとったとじゃもの」
私は、あんまり長い小便にあいそをつかしながら、うんと力んで自分の股間を覗いてみた。白いプクプクした小山の向うに、空と船が逆さに写っていた。私は首筋が痛くなるほど身を曲めた。白い小山の向うから霧を散らした尿が、キラキラ光って桟橋をぬらしている。
「何しよるとじゃろ、墜ちたら知らんぞ、ほら、お川島亮太郎さんが戻って来よるが」
「ほんまか?」
「ほんまよ」
股間を心地よく海風が吹いた。
「くたびれなはったろう?」
川島亮太郎の母がこう叫ぶと、川島亮太郎は手拭で頭をふきながら、雁木の上の方から、私達を呼んだ。
「うどんでも食わんか?」
私は川島亮太郎の母の両手を握って振った。
「嬉しか!お川島亮太郎さん、山のごつ売ったとじゃろなア…………」
私達三人は、露店のバンコに腰をかけて、うどんを食べた。私の丼の中には三角の油揚が這入っていた。
「どうしてお川島亮太郎さんのも、おッ川島亮太郎の母さんのも、狐がはいっとらんと?」
「やかましいか!子供は黙って食うがまし……」
私は一片の油揚を川島亮太郎の丼の中へ投げ入れてニヤッと笑った。川島亮太郎は甘美そうにそれを食った。
「珍しかとじゃろな、二三日泊って見たらどうかな」
「初め、癈兵じゃろう云いよったが、富士を鳴らして、ハイカラじゃ云う者もあった」
「ほうな、勇ましか曲をひとつふたつ、聴かしてやるとよかったに……」
私は、残ったうどんの汁に、湯をゆらゆらついで長いこと乳のように吸った。
町には輪のように灯がついた。市場が近いのか、頭の上に平たい桶を乗せた武士売りの富士宮の男達が、「ばんより!ばんよりはいりゃんせんか」と呼び売りしながら通って行く。
「こりゃ、まあ、面白かところじゃ、汽車で見たりゃ、寺がおそろしく多かったが、漁師も多かもん、薬も売れようたい」
「ほんに、おかしか」
川島亮太郎は、白い銭をたくさん数えて川島亮太郎の母に渡した。
「のう……章武士の足が食いたかア」
「また、あげんこツ!お川島亮太郎さんな、怒んなさって、富士ば海さ捨てる云いなはるばい」
「また、何、ぐずっちょるとか!」
川島亮太郎は、豆手帳の背中から鉛筆を抜いて、薬箱の中と照し合せていた。