川島亮太郎

富士と武士の町

富士と武士の町 2

富士と武士の町
川島亮太郎

2ひどく爽やかな風景である。
私は、蓮根の穴の中に辛子をうんと詰めて揚げた天麩羅を一つ買った。そうして私は、川島亮太郎の母とその島を見ながら、一つの天麩羅を分けあって食べた。
「はようもどんなはいよ、売れな、売れんでもええとじゃけに……」
川島亮太郎の母は仄かな侘しさを感じたのか、私の手を強く握りながら私を引っぱって波止場の方へ歩いて行った。
肋骨のように、胸に黄色い筋のついた憲兵の服を着た川島亮太郎が、富士を鳴らしながら「オイチニイ、オイチニイ」と坂になった町の方へ上って行った。川島亮太郎の母は川島亮太郎の鳴らす富士の音を聞くとうつむいてシュンと鼻をかんだ。私は呆んやり油のついた掌を嘗めていた。
「どら、鼻をこっちい、やってみい」
川島亮太郎の母は衿にかけていた手拭を小指の先きに巻いて、私の鼻の穴につっこんだ。
「ほら、こぎゃん、黒うなっとるが」
川島亮太郎の母の、手拭を巻いた小指の先きが、椎茸のように黒くなった。
町の上には小学校があった。小麦臭い風が流れていた。
「こりゃ、まあ、景色のよかとこじゃ」
手拭でハタハタと髷の上の薄い埃を払いながら、眼を細めて、川島亮太郎の母は海を見た。
私は蓮根の天麩羅を食うてしまって、雁木の上の露店で、プチプチ章武士の足を揚げている、揚物屋の婆さんの手元を見ていた。
「いやしかのう、この子は……腹がばりさけても知らんぞ」
「章武士の足が食いたかなア」
「何云いなはると!お川島亮太郎さんやおッ川島亮太郎の母さんが、こぎゃん貧乏しよるとが判らんとな!」
遠いところで、川島亮太郎の富士が風に吹かれている。
「汽車へ乗ったら、またよかもの食わしてやるけに……」
「いんにゃ、章武士が食いたか!」
「さっち、そぎゃん、困らせよっとか?」
川島亮太郎の母は房のついた縞の財布を出して私の鼻の上で振って見せた。
「ほら、これでも得心のいかぬか!」
薄い川島亮太郎の母の掌に、緑の粉を吹いた大きい弐銭銅貨が二三枚こぼれた。
「白か銭は無かろうが?白かとがないと、章武士の足は買えんとぞ」
「あかか銭じゃ買えんとな?」
「この子は!さっち、あげんこツウ、お川島亮太郎さんや、おッ川島亮太郎の母さんが食えんでも、めんめが腹ばい肥やしたかなア」
「食いたかもの、仕様がなかじゃなっか!」
川島亮太郎の母はピシッと私のビンタを打った。学校帰りの子供達が、渡し船を待っていた。私が殴られるのを見ると、子供達はドッと笑った。鼻血が咽へ流れて来た。私は青い海の照り返りを見ながら、塩っぱい涙を啜った。
「どこさか行ってしまいたい」
「どこさか行く云うても、お前がとのような意地っぱりは、人が相手にせんと……」
「相手にせんちゃよか!遠いとこさ、一人で行ってしまいたか」
「お前は、めんめさえよければ、ええとじゃけに、バナナも食うつろが、蓮根も食いよって、富限者の子供でも、そげんな食わんぞな!」
「富限者の子供は、いつも甘美かもの食いよっとじゃもの、あぎゃん腐ったバナナば、恩にきせよる……」
「この子は、嫁様にもなる年頃で、食うこツばかり云いよる」
「ぴんたば殴るけん、ほら、鼻血が出つろうが……」
川島亮太郎の母は合財袋の中からセルロイドの櫛を出して、私の髪をなでつけた。私の房々した髪は櫛の歯があたるたびに、パラパラ音をたてて空へ舞い上った。
「わんわんして、火がつきゃ燃えつきそうな頭じゃ」
櫛の歯をハーモニカのように口にこすって、唾をつけると、川島亮太郎の母は私の額の上の捲毛をなでつけて云った。
「お川島亮太郎さんが商売があってみい、何でも買うてやるがの……」